トッシーの伊達なブログ

”グルメや観光だけじゃない、私が感じたちょっとイイとこ!!”

木ノ下,東街道

*1  東街道を背にして薬師堂方面を望む

*2  誰にも見向きもされないであろう

この通りは以前は連坊小路へと続くメイン通りだったが、道路改修によりバス通ではあるがメインではなくなった。
画面*2に写る石碑を気に留める人は何人いるだろうか?.....。


【碑文ー東街道】
東街道(*あずまかいどう)は「みちのく」と「やまと」を結ぶ重要な交通路であった。県内では古代の史跡と伝説に富む名取平野(なとりへいや)西の山裾を通り、宮城野(みやぎの)を経て陸奥国府(むつのこくふ)に至る。仙台に入ると、木ノ下の西を通り、陸奥国分(むつこくぶんじ)を過ぎて多賀城(たがじょう)に向かったと伝えられるが、詳細は定かでない。
             市制施行八十八周年記念   仙台市
【碑文ー木ノ下】
「みさぶらい御笠と申せ宮城野の木ノ下露は雨にまされり」(古今和歌集
陸奥国分寺跡のある周辺木ノ下は、みちのくへの憧景を誘う歌枕であった。古来老木大樹に包まれたこの地に、伊達政宗が薬師堂を、二代忠宗が白山神社を復興し、数多くの塔頭や坊が並んで繁栄をみたが、明治維新や近代の都市化の波が大きくまちの姿を変えた。


東街道(あずまかいどう)ー奥州藤原氏の時代(1087~1189年)からの幹線道路と言われ、福島(白河)~名取(高館)~仙台(大野田)~木ノ下~多賀城を通り岩手(盛岡)~青森まで続く、現在の国道4号線と同じ様な位置にある”みち”であったとおもわれる。

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