*1
*2
*3
このあたりは道幅が狭く、交通量も多い
市営バスも走り朝夕はたいへん混雑する
近年は仙山線”東北福祉大前駅”ができ、通学時間帯は学生も多い
【碑文ー半子町】北八番丁と土橋通の辻より北西に町割りされた御旗本足軽屋敷。慶安四年(1651)二代藩主忠宗が足軽衆の中から優れた者を大筒組に取り立て、この地に配した。町名の由来は、この大筒組が後髪を残す剃り方ー半髪(はんこう)ーをしていたことによる。
【碑文ー伊勢堂下】半子町の北裏で、龍雲院門前から寿徳時東脇までをいう。町名は元和七年(1621)伊達政宗が伊勢両宮の分霊を勧請し神明社を建立、その地を伊勢堂山と名付けたことに因む。寛文の城下絵図には御足軽衆、延宝の城下絵図には御弓衆と記されている。