*1 辻標は中央
*2 碑文
*3 辻標は中央
八ッ塚と聞いてピンとくる人はそう多くはいないと思う
地元に住んでいる年配の方々もそうであろう
ましてや、地理に詳しいタクシー乗務員でも.....
*1の交差点はココもまた恒常的な渋滞ヶ所である
変則5差路もそれに拍車をかける
近年、矢印の出る信号機により少しではあるが改善された
【碑文ー八ッ塚】
東八番丁東部の寺屋敷である。昔一面の野畑であったその中に、由来の分からない古い塚が八つあったのでこの名称がある。寛永一三-一四(1636-37)頃、城下の拡張に伴って今の元寺小路から寺院の一部をここに移したので新寺小路と呼ばれるようになった。
【碑文ー東八番丁】
東七番丁の東裏に並行して割り付けられた足軽屋敷で、柴田郡大河原村の足軽衆が置かれたので大河原町ともいった。南は荒町、北は二十人町に行きあたる。封内風土記には「八番丁以下 今廃宅たり」とあり天明大飢饉をきっかけとする領内の荒廃の模様を知ることができる。明治三八年には片倉製糸紡績仙台生糸所が操業を開始している。