*1 フェンスの向こうが一高グランド
*2
*3 右カーブを行くと”耳権現さま”
こうして辻標巡りをしていると、政宗の時代にいかに周りの田舎から人が集められたかが碑文を見るとわかる
また地名の由来も理解できるし故郷を慕う人々の心情もうかがえる
【碑文ー元茶畑】
長泉寺横丁から南鍛冶町に至る通り及び周辺を指した。寛文十一年(1671)から元禄八年(1695)までの二十五年間は藩の御茶畑で、その後侍屋敷となった。明治四十一年宮城県立仙台第一中学校(現仙台第一高等学校)が置かれた。
【碑文ー表柴田町】
成田町の北側で、元茶畑と東街道の間の足軽町。北側に接する裏柴田町とともに寛永十年(1623)頃に柴田郡から召し出された十六・十九石取りの足軽衆が住んでいた。町内の白鳥神社は足軽衆の故郷平村(現大河原町)の大高山神社(白鳥神社)の分霊を勧請したもの。