トッシーの伊達なブログ

”グルメや観光だけじゃない、私が感じたちょっとイイとこ!!”

姉歯横丁、土樋


*1 姉歯横丁 突き当りが荒町

*2 辻標

*3 下ると愛宕橋


姉歯という姓は県北のほうにもある、少々めづらしい姓である
政宗の時代には、例えば”侍と足軽”、”鷹匠(師)と餌差(えさし)”というように職業がら、関連性のある者同士の住み分けが出来ていた
”竹屋横丁”の竹を使う釣り竿、近所の南鍛冶町”竿政”が有名である
勿論、今は当時とは違う竹であろうが、名残りであろう
私は長町に下宿していた当時は路面電車にゆられ予備校に通っていたが電車通りの土樋あたりの記憶はあまりない

【碑文ー姉歯横丁】
荒町から土樋の真福寺門前までの南北一町程の横丁をいう。若林城普請に伴う寛永五年(1628)以降の城下の東南方面への拡張期に、土樋とともに割付けられた。侍屋敷が置かれたが、居住者に姉歯八郎右衛門という者がいたことから、この呼称となった。明治の末葉には愛宕橋まで通じている。
【碑文ー土樋】
西端は鹿子清水、東端は石名坂に至る広瀬川北岸沿いの長い通り。「仙台鹿の子」によれば、その名は土の樋をかけて水を流したのに由来するという。正保仙台城絵図では西半部に侍屋敷と鷹師屋敷が割付けられ、東には餌差屋敷がみえる。政宗の祖父晴宗の時代に城があったという記録もある。

仙台鹿の子➡江戸時代に記された、作者不明の仙台最古の地誌(1695年頃)
餌差➡(えさし)、鷹の生餌となる小鳥などを”鳥もち”を竿の先に付けてとることを生業とする
 者。


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