トッシーの伊達なブログ

”グルメや観光だけじゃない、私が感じたちょっとイイとこ!!”

跡付丁、北材木町

*1  道路突き当りは定禅寺通り    辻標は交差点左角

*2  辻標 駐車場の出入り口にあるせいか下部が欠けている

*3  突き当りは旧国道48号線、突き抜けると木町通り 右に行くと晩翠通り

狭い道ではあるが南北に走る使い勝手の良い道路である。
*1の突き当たりの定禅寺通りを左に行ったところに会社の専務に連れられていったキャバレーがあった。 
20代のときはそこにいくのが楽しみであった。当時のキャバレーはホステスさんが100人近くいた。若い子から50代のオバサンまでバリエーションが豊富だった。
今から思えばなんと贅沢な大人の遊びであったろうか。今のキャバクラとは”似て非なる”ものである。
連れていってもらったときは歌手の朱里エイコのショーをやっていた。彼女のはいていたストッキングがデンセンしていて破れているのがわかるくらい、ステージの最前列でみた記憶がある。


【碑文ー跡付丁】
通りの北側は北一番丁の侍屋敷、南側は北材木町の町屋と接し、これらと併行して侍屋敷が配置された東西軸のまちである。北一番丁南後(うら)町とも称し、繫華街に近いため太鼓持ちの別称である跡付衆が住んだことに由来するとの説もある。戦災復興事業で中央部の細横丁付近が廃道となり、丁が東西に分された。

【碑文ー北材木町】
城下町方二十四町のひとつで、慶長年間(一六〇〇年代初め)に本材木町から分離して成立したとみられる。材木商、大工、指物師などが住む南北軸、東西軸二つの町並みをけいせいし、材木の独占販売権が与えられて力を誇った。材木市が立ち、四伝馬町のひとつとしても栄えた。位置は変わったが春日神社も古くからまつられている。



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