トッシーの伊達なブログ

”グルメや観光だけじゃない、私が感じたちょっとイイとこ!!”

神子町、北八番丁

*1  辻標 (みこまち)

*2  通町方面を見る  左側は通町小学校

*3  木町通り方面を見る

キッチリとした町割りがうかがえる地区である。
道幅は狭いが大通りを結ぶ主要な道である。
私の昔の思い出は会社の専務に連れて行って貰ったキャバレーのホステスさんを食事の後、タクシーで送ってきた時の記憶ぐらいである。

【碑文ー北八番丁】
土橋通と上杉山通を東西に結ぶ通りで、主に足軽屋敷が並んでいた。東端は初め通町までで、のちに二本杉通まで延長されたが、安政の城下絵図では上杉山通から東の通りはなくなっている。大正八年(一九一九)通町小学校が青葉神社境内地から現在地に移転した。

【碑文ー神子町】
北八番丁と北九番丁を南北に結ぶ。寛文十二年(一六七二)から元禄三年(一六九〇)の町割りがなされ、主に瓦職人衆が居住した。この町の瓦は藩
用であったため、窯元の瓦師は棟梁と呼ばれ、帯刀を許された。町名は、この地に朝日という神子(みこ)が住んでいたことに由来するという。