*1 辻標は写真中央自転車の後
*2 辻標
*3 宮町方面
*4 東照宮方面
昔は七夕祭りの季節になると商店街の両側から竹飾りがいっぱいつるされ下町の風情があったように記憶している。
現在は東六番丁小学校のあたりが、色々な催し事の中心になっている。
キャバレー全盛の頃はこの宮町辺りから着飾ったホステスさんが国分町に通うためタクシーを拾う姿を多く見かけた。
今の時代はジーパン姿で自転車で店まで通う若い女性が多い。
【碑文ー宝蔵院】
宝蔵院は承応三年(一六五四)に東照宮の別当寺として建立された仙岳院の塔頭の一つで、明暦元年(一六五五)の寺領は二五石であった。安政の城下絵図では現在の延寿院と梅田川の間に見えるがその後廃絶した。地名はこの寺に因む。
【碑文ー宮町】
東照宮の門前町で、北六番丁から東六番丁北端までの南北の町。承応三年(一六五四)玉手崎の天神社跡地に東照宮が造営された際に町割りがなされた。全戸に五百文の田畑が与えられ、年貢や町方諸役が免除されたほか、仙台際の日には絹布着用の特権が与えられていた。御宮町、権現町ともいわれた。