トッシーの伊達なブログ

”グルメや観光だけじゃない、私が感じたちょっとイイとこ!!”

南鍛冶町、三百人町

*1  三宝荒神社方面を見る

*2  南小泉方面を見る

この周辺は城下町特有のカギ形の道路が多く入りくんでいる。道幅が狭く、交通渋滞のもととなっている。荒町にぬける通りには現在、新寺方面から河原町に至る跨道橋の工事が進められているが、この周辺の交通渋滞緩和にはならない。


*3  辻標

【碑文ー南鍛冶町】
奥州街道沿いの荒町と穀町との間の町。米沢以来の鍛冶職衆の町であるのが名の由来。仙台開府当初、鍛冶職衆は元鍛冶町に配置されたが、寛文五年-十一年(一六二八~三四)同地が侍屋敷とされたため、南と北の鍛冶町に移った。町の守護神三宝荒神社は元和年間(一六一五~二四)の創建といい、早くから鍛冶職衆が住んでいたとも考えられる。


【碑文ー三百人町】
南鍛冶町から保春院前丁に通ずる道に面した町。住民は伊達氏が米沢に移住したとき、伊達郡に残った旧家臣で、慶長五年(一六〇〇)上杉領であった白石城攻めのとき、茂庭綱元の説得により参戦した鉄砲足軽組三百人。戦後一六石取りの鉄砲足軽となり再び伊達氏に仕えた。寛永七年(一六三〇)からこの地に居住した。