*1 東七番丁から荒町方面を見る
*2 東八番丁方面を見る
*3 北方面を見る 左手側に建設中のヨドバシカメラ
*4 辻標
昭和50年代はこの周辺は駅裏と呼ぶのに相応しい場所であったが、最近は*1、*2、*3、のようにホテル、商業ビル等々発展が目覚ましい。
*3の方面は仙石線の踏切があり、そこを渡ると二十人町、鉄砲町の商店街があり、今思えば、まさに“昭和レトロ”と言う言葉がピッタリの地域であった。
【碑文-柳町通】
柳町に通じる通りで、藩政時代初期は柳町東端からここまでだったが、寛文期までに東の孝勝寺前へ延び、孝勝寺通とも別称した。明治二十年の鉄道開通で東五、七番丁間がほぼ失われて東西に分断、西部は宮城学院や東北学院、病院、官庁などがつくられ、東部は昭和四十八年以降の再開発で商業地区となった。
【碑文-東七番丁】
二十人町と荒町の間を結ぶ南北に長い丁。藩政時代初期には北が侍屋敷、南は足軽町で、後にすべてが仙台城の大番組に勤める平士たちの屋敷となった。かつては湿地帯だったので、谷地小路とも呼ばれた。明治二十年の鉄道開通で南北に分断され、昭和四十八年以後は再開発で一変した。