*1 片平通りと琵琶首丁(花壇方面)の交差点から川内方面を見る,辻標は写真中央
*2 写真画像*1の交差点から”仙台大神宮”方面を見る
*3 花壇方面を見る (左側に見える森が経ヶ峰、瑞鳳殿がある所)
*4 辻標
この周辺はお城(青葉城)にも近く藩政時代、伊達安芸や原田甲斐などの大身の武士が住んでいたこともあり、その流れかどうかは分からないが今も高級マンションが多く、その住人も仙台の主たる会社の社長さんなどである。
朝晩は地形も影響してか交通量が多く渋滞することしばしばである。この周辺の仙台観光の際は“大橋”を渡って左手の追廻地区の公園駐車場か反対側の国際センター駅の駐車場が便利である。よく観光客が言う事に『仙台城址に行っても騎馬像が今はないんでしょう?』であるが、政宗像は近くの仙台市博物館の敷地内にもある。青葉山の騎馬像よりも見る価値があると思う。
胸像の解説(拡大してご覧ください)
伊達政宗像
この像は現在青葉城跡にある
政宗公騎馬像の最初のものであって
第二次世界大戦中軍に徴用されたもの
の騎馬部分のみ溶解されこの部分
は終戦後塩釜市内に打棄てられて
あった
幸い郷土史家故石川謙吾氏がこれ
を発見し私費を投じて購い青葉神社
に奉納したものを石川氏のご意志により
神社側の了解のもとに本館に移した
ものである
【碑文ー片平丁】
古くは北一番丁角から川ぞいに崖上を南下し、いまの西公園西端を通り藤ヶ崎の上から東南に向い南六軒丁に続く道をいった。川に面し伊達安芸や原田甲斐など大身の武士が住み、道巾も広かったので、大名小路ともよばれた。明治以降官衛学校町となった。
【碑文ー琵琶首丁】
琵琶の形に広瀬川で三方が囲まれた地形の北端を琵琶首という。片平町から段丘下に下る所が藤ケ崎である。琵琶首丁はこの段丘の下を弓なりに大橋袂に至る。昔は御小人と御職人の町、今は東部が商店街となった。町の南に藩の花壇があった。