トッシーの伊達なブログ

”グルメや観光だけじゃない、私が感じたちょっとイイとこ!!”

支倉丁、支倉通

*1  支倉通の北側、正面は大学病院

*2  東側、公園通り方面(辻標は右側)

*3  辻標


古くからの通りである。朝の通勤時間帯には八幡町方面から市内中心部に至る抜け道的な存在である。

近くには宮城県知事公館”もあり普段は静かな住宅街である。





【碑文ー支倉丁】
北一番丁西端から広瀬川の崖にそって西北に進み、細い瀧にそつて急坂を電光型に南に下り、支倉橋で広瀬川を渡り、川内の元支倉丁に通じた幹線道路であった。元禄七年夏洪水で橋が流れ、澱橋が新たにできた。この丁名は道沿いに支倉氏が住んだためという。

【碑文-支倉通】
もとは支倉丁の西北端から北九番丁角の恩慶寺前に至る通りであったが、旧仙台二中、大学病院ができて北四、北八番丁間が中断された。その後北方は秀林寺東側をへて延長され北山町につき当つている。藩時代北六番丁以南は侍丁であった。