トッシーの伊達なブログ

”グルメや観光だけじゃない、私が感じたちょっとイイとこ!!”

2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧

外記丁、長刃丁(なぎなた)

*1 左手が合同庁舎、道路をはさんで右手が宮城県警本部、そのおくが県庁 *2 愛宕上杉通り方面を望む *3 街路樹で見えないが右手に、県警本部、奥に県庁 さしずめ宮城の ”霞ヶ関” 街とでも言うべきか 勾当台公園も近い 仙台市役所も近い 毎週末は何かし…

北三番丁、細横丁

*1 辻標 *2 西から二日町方面を望む 辻標を左に行くと国道48号線 *3 二日町方面から西、支倉町方面を望む 左右が細横丁 細横(晩翠通り)は片側2車線の通りであるが、意外に静かな通りだと思う ただ、城下町特有の鈎型(かぎがた)や突き当りがある…

塩竈街道、今市

*1 橋を渡ると岩切旧町内 *2 右へ行くと利府街道 *3 辻標 【碑文ー塩竃街道】 岩切若宮で石巻街道と分かれる街道である。多賀城市南宮と市川の間で砂押川を渡り多賀城政庁跡の北を通り、塩竃市大日向・赤坂を経て鹽竈神社に至る。赤坂橋を渡ると元禄頃の遺構…

河原町、河原町横丁

*1 まっすぐに行くと行人塚踏切に至る 右へ行くと旧電車通り通り *2 辻標 *3 辻標の”河原町”方面へ曲がると右側にある立標 *4 当時の風景がうかがえる ここからが城下の入口“丁切根” こじんまりとした商店街が続く中ほどに辻標はある 道幅は狭いが古…

姉歯横丁、土樋

*1 姉歯横丁 突き当りが荒町 *2 辻標 *3 下ると”愛宕橋” 姉歯という姓は県北のほうにもある、少々めづらしい姓である 政宗の時代には、例えば”侍と足軽”、”鷹匠(師)と餌差(えさし)”というように職業がら、関連性のある者同士の住み分けが出来てい…

穀町、畳屋町

*1 突き当りが南鍛冶町”耳権現様” *2 *3 荒町方面から荒井方面に向かうと突き当りにパチンコ屋さんが二軒並んであった 小さな店であったが地元人に親しまれていた 古き昭和の時代を思わせる町並みが今もわずかに残る..... 【碑文ー穀町】 藩政初期から…

来るべきその日のために❕

日々、刻々と変わりゆく仙台、今、誰かがこの一瞬を”きたるべきその日のために”.....誰のためでもない、いずれは皆のためかも知れない、残しておきたい、残さなければならない..... いまあったものが、いつの間にかなくなり、『ここは何があったんだっけ⁈』…

南材木町、竹屋横丁

*1 河原町方面から穀町方面を見る *2 辻標 *3 竹屋横丁 辻標 このあたりは碑文にもあるとおり戦禍を免れたため蔵、蔵屋敷が残る 近年は老朽化が進み取り壊されたりしている 今のうちに、いっぱい写真に収めて記憶や記録として後世に残したい 誰に言わ…

元茶畑、表柴田町

*1 フェンスの向こうが一高グランド *2 *3 右カーブを行くと”耳権現さま” こうして辻標巡りをしていると、政宗の時代にいかに周りの田舎から人が集められたかが碑文を見るとわかる また地名の由来も理解できるし故郷を慕う人々の心情もうかがえる【碑…

八ッ塚、東八番丁

*1 辻標は中央 *2 碑文 *3 辻標は中央 八ッ塚と聞いてピンとくる人はそう多くはいないと思う 地元に住んでいる年配の方々もそうであろう ましてや、地理に詳しいタクシー乗務員でも.....*1の交差点はココもまた恒常的な渋滞ヶ所である 変則5差路も…

新寺小路、二軒茶屋

*1 *2 *3 仙台新港、荒井方面から市内に向かう際のメイン通りである バイパス、六丁の目交差点から宮城野跨線橋をわたり市街地に向かう 朝晩は恒常的な渋滞がおきている *3は市内にむかってゆるい左カーブになっていて、またゆるい坂である このゆる…

大沢峠

*1 仙台バイパスを北に行くと緩い坂がある *2 大清水石盥(おおしみずせっかん) *3 坂を登りきると富谷市になる *4 盥 ー*(カンとは”たらい”・”おけ”を意味する) *5 この”セッカン”には文字が刻まれているが薄くて読めない 国道4号線は旧奥州…

大仏前、同心町中丁

*1 *2写真*2の階段を登ると錦町公園であるが、かつては“レジャーセンター”があったと記憶している 取り壊されて今の公園になっているが、私は剣道の試合で(小学生の頃)利用したことがある その機能はのちに川内(かわうち)の“スポーツセンター”(現…

燕沢、比丘尼坂(びくにざか)

*1 市営バス東仙台営業所を背にして比丘尼坂を望む (電柱左側が碑)*2 比丘尼坂碑(電柱の右) 鶴ケ谷、外人墓地から下って燕沢(つばめさわ)、市営バス東仙台営業所へと抜ける狭い坂道であるが抜け道的要素のある便利な道である 女性ドライバーは敬遠する…

東北の玄関口、”これでイイのか?”

*1 仙台駅東口*2 仙台駅東口タクシー乗り場*3 多賀城駅南口タクシー乗り場 *4 仙台東口 正面は”HOTEL メトロポリタン仙台East” *1,*2 は仙台駅東口であるが*3 は仙石線“多賀城駅”である この3枚の写真を見て何がわかる.....⁉ 皆さん.....雨の…

錦町、光禪寺通

*1 *2 *1は仙台駅方面を見る 左手の奥が”仙台アエル”ビルである *2は左折すると定禅寺通りに至る、旧市電通りである(突き当りは光禅寺通り) 昭和50年代は比較的に混雑はしていなかった 現在も国道45号の迂回的な通りである 【碑文ー錦町】 寛…

半子町、伊勢堂下

*1 *2 *3 このあたりは道幅が狭く、交通量も多い 市営バスも走り朝夕はたいへん混雑する 近年は仙山線”東北福祉大前駅”ができ、通学時間帯は学生も多い 【碑文ー半子町】北八番丁と土橋通の辻より北西に町割りされた御旗本足軽屋敷。慶安四年(165…

堤通、北二番丁

*1 *2 *3 *4 北二番丁と交叉する堤通は終日の朝6時~9時までは普段の一方通行と逆の一方通行になるので慣れないと少し走りづらい 朝は北仙台方面からの車で混雑する 日中は県庁や市役所が近いこともあり、お昼休みの時間帯は周辺のサラリーマンと…

栗原田園鉄道

* 栄枯盛衰、諸行無常..... ”平家物語”の一節を思い浮かべる かつてはココに“栗電-荒町駅”があったが、ごらんのとおり ただ石碑とわずかにレールが残るだけふだん、何気ない日常の生活の一部でいいから写真に残すことを考えたい それがいつの日か、「明日か…

角五郎丁(つのごろうちょう)、中島丁

*1 中島丁方面*2 澱橋 この界隈は学生が多かった。宮城一女、尚絅、ドミニコ,仙台二高、、、東北大、、、印象に残っているのはそれぐらい。【碑文-角五郎町】 渡守(わたしもり)角五郎の名から丁名ができたという。昔は御職人の町で、のちに御旗本足…

新坂通、新坂

*1 *2*3新坂通りは、八幡町方面から市の中心街へ出る朝のラッシュ時の抜け道的な存在である あまりメジャーな道ではないが”知る人ぞ知る”道である 坂の突き当りに”辻標”があり、登りきると左手に”宮城県知事公館*4、5”、突き当りが東北大学医学部附…

慶長遣欧使節団・団長ー支倉常長

*1 *2 *1の道路標識を見て「誰だろう?」と思った人は、あるいは「ただの面白い標識だな。」と思ったひともいるだろう。"浦島タロウ""ではありません 仙台の地名(支倉町)にも残る人物であるが政宗の時代に慶長遣欧使節団(*けいちょうけんおうしせ…

長町1丁目周辺、橋姫明神

*1-広瀬橋上から*2-広瀬橋たもとから*3ー橋姫明神と石碑*4-橋姫明神由来仙台市内から南へ旧電車通りを通って広瀬橋を渡るとそこは長町である私が県北の高校を卒業して最初に下宿したところが長町であった長町は大学が近い事もあり学生に人気であ…

北五番丁、北鍛冶町

この一角は、普段から交通量が多く“辻標(つじひょう)”に目をやる人はすくない歩きの人ならじっくりと見れるが、車では少々無理がある【碑文-北五番町】 東は宮町、西は土橋通(どばしどおり)に至る長い侍丁で、正保年間(*しょうほう)の絵図では北鍛冶…

北山町,通町

*1 この北山町、通町(とおりちょう)周辺は古い蔵や町並みが残っていたが、近年では老朽化により取り壊されスローではあるが徐々に新しい町並みに生まれ変わろうとしている【碑文】 仙台城の鬼門(*きもん)北端の南面する丘に伊達氏ゆかりの禅寺が置か…

アフターコロナ、ウィズコロナ

5月の連休も終わり、長かったコロナ禍からやっと抜け出せた”感”のあるこの頃。 世界ではまたつぎなる“ウクライナ、ロシア”の戦禍、 せめてもの願いは『平和でありますように』....... 仙台市内を見おろす泉区中山にある仙台大観音に 祈りをこめて。 仙台市泉…

多賀城市

これは”たのしむ”とは言えない...デリケートな内容の記事です 震災から11年、確かに復興はしていますが、”そのまま”のところも... 立ち止まってよく見ると...当時が思い起こされる なんの変わりのない1画にそれはたたずんでいる 色々な意見はあると思います…

木ノ下,東街道

*1 東街道を背にして薬師堂方面を望む *2 誰にも見向きもされないであろう この通りは以前は連坊小路へと続くメイン通りだったが、道路改修によりバス通ではあるがメインではなくなった。 画面*2に写る石碑を気に留める人は何人いるだろうか?.....。 …

北二番丁、堤通

*1 堤通から愛宕上杉通り方面へ *2 北二番丁から勾当台通り方面へ *3 辻標、植え込みの草木で下のほうの刻字が見ずらい 北二番丁に交叉する堤通は朝7時~9時まで amzn.to