*1 まっすぐに行くと行人塚踏切に至る 右へ行くと旧電車通り通り
*2 辻標
*3 辻標の”河原町”方面へ曲がると右側にある立標
*4 当時の風景がうかがえる ここからが城下の入口“丁切根”
こじんまりとした商店街が続く中ほどに辻標はある
道幅は狭いが古き良き時代(昭和)の雰囲気が感じられる
市内中心部までわざわざ出かけなくともこの一画で用をたせる
『丁切根』とは藩政時代、ここが城下の南の入り口で木戸があって朝夕は開閉されていたそうである
そういった関係から人々が集まり、市場も(青物市場)でき商売が成り立ち、所謂、”豪商”と呼ばれる家が多くあったそうである
【碑文ー河原町】
往昔、広瀬川の氾濫で形成された河原地帯で川原町とも書く。渡し場をはさんで城下と在郷の境に位置し、城下、在郷から移住した商人や百姓が定着、寛文期に橋ができると長町宿とともに町は繫栄した。藩政初期創設といわれる青物市場の廃止、道路交通の発達に伴なって町の性格も変わった。 市制施行八十八周年記念 仙台市
【碑文ー河原町横丁】
寛永期末河原町から若林城を結ぶ道の西端としてできた横丁。寛文の地図には河原町から東へ向ける道として記載され、古くはその南側が広瀬川の磧と桃畑であった。明治十二年には若林城跡に宮城集治監(現刑務所)ができ、昭和に入って行人塚駅や仙台味噌の工場が新設され、町並みも東へのびた。