トッシーの伊達なブログ

”グルメや観光だけじゃない、私が感じたちょっとイイとこ!!”

森徳横丁、百騎丁

*1 勾当台通り方面を見る

*2 辻標

*3 一番町アーケード方面を見る、辻標は右側

私が知っている頃は確か、市立病院があったと記憶している。いずれにせよ1等地に変わりはない。

【碑文ー森徳横丁】
東一、二番丁間のこの通りは明治初期まで荒れて淋しく、化物横丁と呼ばれ明治中頃西北端に芝居小屋、森民座が建って森民横丁、後に森徳座と改名し森徳横丁と称され、更に北東端に裁判所ができて裁判所横丁、南東端にできた憲兵隊にちなみ憲兵横丁と時代を反映して通名が移り変った。

【碑文ー百騎丁】
藩政時代、東一~東三番丁は百石から数百石の中堅武士が配置された。戦時には多数の騎馬侍が出陣する東二番丁を別名百騎丁とも呼んだ。樹木が豊かで風格をそなえた屋敷町も、戦災の後昭和三十三年に道が幅員五十メートルに拡幅され、市内、南北を貫く大動脈国道四号線となった。

 市制施行八十八周年 仙台市