国道45号線から脇にそれて、ほぼ平行して走る”原町本通り”と呼ばれるこの通りは昔ながらの商店街という雰囲気を漂わせる。しかし、年々その商店の数も減ってきている。それはここ、原町だけに限ったことではなく全国的なことであろう。
通りを歩く歩行者の安全を確保するために道に段差をつけたり、花のプランター的な物を交互に配置して車がスピードを上げられないようにしたりしたが地域住民や周辺の不評もあり現在のもとの道路となった。
ここの七夕飾りも下町的な風情があり、なかなかのものであったが近年は飾り付けもあまり見かけなくなった。
*1 原町本通りから西側(仙台駅東口方面)を見る
*2 東方面を見る
*3 辻標
*4 大源横丁碑 (左側が辻標、右側が大源横丁碑)
【碑文ー原町】
明治二十二年の南目、苦竹、小田原三村合併で成立した町名であるが、古くから塩釜街道沿いに細長い町場を形成し城下東方 では最初の宿駅として藩政期の絵図にもその名が記されている。西端には藩の米蔵や材木蔵が置かれ、明治~大正期には代官所跡が宮城郡役所となった。昭和三年に仙台市と合併した。
【碑文ー大源横丁】
遠藤横丁、岩井横丁、佐々木横丁とともに原町四横丁のひとつ。他の三横丁は南の宮城野方面への旧農道であるが、大源横丁は北裏への通路である。原町出身で仙台屈指の呉服商を営み、慈善家としても知られた大内源太右衛門(一八四七~一九〇九)の篤志により、明治三十八年に道が開通したことに由来する。