*1 青葉通りから仙台駅方面を見る 左手側に”藤崎”
*2 南町通り方面を見る 右側に辻標
*3 辻標
*4 交差点から国分町方面を見る
やはり辻標の管理が悪く、日陰部分はコケなどで読みづらい。
”電話横丁”が辻標にあるのは違和感がある。殆どの辻標は藩政時代の名称を使っているので、その時代の名称を使って欲しかったと思うのは私だけか......。
【碑文ー南町】
仙台の真中、国分町、芭蕉の辻、南町と続く奥州街道の繫華街で、藩祖につい
てきた譜代町である。野菜、穀物、荒物を業としていた。明治初年に郵便局、警察署、旅館、やがて銀行ができ、市電も辻まで通ったこともあった。空襲で全焼し、戦後町は面目を一新した。
市制施行八十八周年記念 仙台市
【碑文ー電話横丁】
良覚院丁の南町と本荒町の間をいった。明治三十三年十二月二十八日郵便局と並んで電話交換局が完成し業務を開始した。大正八年局の近所から出火した「南町大火」と空襲で局舎が焼けたときのほかは、日夜業務が続けられたので、いつからか電話横丁と俗称された。